新しい領解文について

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この度、浄土真宗本願寺派で新しい領解文が発布されたそうですね。
聞いた所によると本願寺派のお坊様の皆様が沢山の意見を本願寺に寄せていらっしゃるそうですね。
全て読まれて本願寺さんが返事を書いて送られていらっしゃると良いのですが、、、

仏教初心者の浄土真宗本願寺派の門徒の末端の私にも解るようにどうか今回の事を教えていただけませんでしょうか。
「浄土真宗必携 み教えと歩む」は持っております。

釋悠水(管理者) 公開しました 2023年3月31日

1 僧侶回答

お久しぶりです。
お元気ですか。

「新しい領解文」にご関心をお持ちとのこと、喜ばしいことです。
そもそも、「領解」とはどのように「南無阿弥陀仏」を「領」納し、「解」了しているかという要点がまとめられたものです。
平たく言えば、「南無阿弥陀仏」の意味合いをどう受け止めていくべきか、そのガイドラインが示されているのです。
浄土真宗本願寺派という一つの宗派の、正統な理解の仕方と言ってもい良いです。
ここでは多くを触れませんが、なぜこういったものを示す必要があるかと言えば、過去に恣意的な解釈が横行して混乱した歴史的経緯があるからです。

「新しい領解文」に示されているように、「南無阿弥陀仏」とは「われにまかせよ そのまますくう」という阿弥陀様の救いのお心です。
「われにまかせよ」と仰ることを、私がお「まかせ」させていただきますと受け止める。単純に言えば、ただこれだけのことです。これを「領解」といい、信心ともいうのです。その信心(阿弥陀様からのいただきものですからご信心ともいいます)から、自ずと「ありがとう」と「感謝」の思いが湧き、その表れとしてお念仏をさせていただきましょう、と述べられているのが全体の大意です。微に入り細に入りすると、より煩雑になりますから、とりあえずは以上のようにご理解頂ければよろしいと思います。

「聞いた所によると本願寺派のお坊様の皆様が沢山の意見を本願寺に寄せていらっしゃる」というのは、恐らく賛否両論があることをお聞き及びのことなのでしょう。私は、何でも新しいことには賛否があるものだと思っています。賛否交わされ、議論があることは良いことです。上意下達で、最初から一本化されて異論が許れさない状況よりは遥かに健全です。ただ、そのうえで私が思うのは、ご門主は浄土真宗という一仏教の教えを、どう現代の方にわかりやすい方法で工夫して伝えるか、この一事にお心を砕かれたその結果がこの新しい「領解文」なのだと思います。古い言葉で書かれた文章は、現代人にとってただでさえ馴染みの薄い仏教への理解以前に、言葉という障壁となって人々の理解を阻んでいる面があります。まず言葉の障壁を取り払う、このご門主のご意向を、私は現場に身を置く僧侶として支持したいと思っています。

少し長くなりましたが、以上が私の回答です。
宜しければご参考にされて下さい。

では。

-お礼のご返信-
お忙しい中、ご回答を頂きましてどうもありがとうございます。釋先生が仰るようにシンプルに受け取る事に致します。
浄土真宗本願寺派の僧侶として真摯に学び、真摯に研究し、真摯にご法話をし、真摯にご自坊のご門徒さんの皆様と向き合われてきた僧侶の皆様が全国にいらっしゃいます。
その全国の浄土真宗本願寺派の僧侶の皆様の思いが報われますようにと末端のいち門徒として願っております。南無阿弥陀仏🙏南無阿弥陀仏

-ご返信への回答-

ご丁寧にご返信有難うございました。
お役に立てて嬉しいです。また、応援して頂けるお方が居てくださることを励みにしつつ、一層気を引き締めて法務に当たりたいと思います。
また、ご相談ありましたらお寄せ下さい。南無阿弥陀仏

 

 

釋悠水(管理者) 公開しました 2023年3月31日
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