私の生きてきた時間
初めまして、こんにちは。
ハスノハでのご住職の回答を、毎回新しい目線に驚きながら読ませていただいています。
私は子供の頃から知らず知らずに母を可哀想だと思い込まされてきて、何事も無意識に母を喜ばせるために頑張ったような気がします。
その性格のせいか結婚してからも体の不自由のある義父や、判断力のない義母の役に立とうと孤軍奮闘を繰り返してきました。
孤独とツラさで病みました。
昨年義父が亡くなり、婚家では何事も終わったとばかりに他の家族は平穏になりましたが、一方実家でも父が急逝したので今度は母から依存の対応に明け暮れる生活が始まりました。
私はいつまでも人の面倒を見る緊張感や責任感に苛まれ続け、時々「何のために生きているんだろう…」と虚しくなります。
ギブアンドテイクのギバーになってしまい、テイカーの相手にばかりなってるのは疲れました。
心療内科にも20年近く世話になり、酷くはないばかりに主婦業を休むことなく生活していて、心が癒される時間は本当に少ないです。
時には誰かに思いきり優しくされたいし、愛に包まれたいと思いを持ち続けていても、どこにも見つかりません。
人それぞれ苦しみがあるのが生きるということとは分かってはいても、あまりにも苦しすぎると弱音を吐きたくなります。
私の人生はこのまま終わるのかと思うと虚しくなります。
今まで生きてきた時間は「徳を積んできた」と思わなければいけないのでしょうか。
その為に生きているのでしょうか。
少し楽になる考え方がございましたらご教授願いたいのですが…。
よろしくお願いします。
質問者さんからのご返信
釋悠水様
回答をいただきありがとうございました。
今の時点で母との関係に客観的な目で見ることができるようになったのは、ひとつ前進だと言っていただけたことは、私にとって苦しいながらも嬉しかったです。
気づいてしまってからは、過去を思い出して辛くなったり、この先母を変えることはできなさそうだと思っては悲観していましたが、自分の意識を変えることはできますもんね!
ギバーを一旦やめるということを心がけたいと思います。
罪悪感は伴いますが、『これは私がやらなければならないことなのか?』を常に意識しながら、少しずつ切り換えられるようにしたいです。
今回直接ご意見をいただけて、私も嬉しかったです。
ハスノハではお坊様を指名することはできず、少し感性の違う方からのご意見だとしっくりこないこともありました。
今後ともまた利用させていただくかもしれませんが、よろしくお願いします。
追記
ご返信ありがとうございました。
お役に立てれば何よりです。
しばらくは試行錯誤があるかもしれませんが、少しづつマイペースで日常をお送り井ただければと願っています。
どうぞ、また質問ありましたらお寄せ下さい。