どう生きたらいいか分かりません
こんにちは。
悠水住職さま、お元気でいらっしゃいますか?
以前回答をいただいた文章を繰り返し読んでは「ああ、そうだった」と思い出しながらすごしています。
今回の相談は今までの自分の生き方から少しずつ修正をしている途中での悩みです。
自分の容量をこえたがんばりをやめてみたり、自分を大切に思ってくれる家族の存在に感謝するように考えてみました。
以前より楽に過ごせるようになった気がします。
その節はありがとうございました。
けれど、ふと一人で自分のこの先を思ってみると「何が楽しみなんだろう?何のために生きているんだろう?」という気持ちが湧いてきます。
人の役に立とうとして自分の存在を感じてきたためだと思います。
いざ自分を第一に思った時、足元に何もないような不安で空虚な感じがしてしまうのです。
年齢も人生の半分を越えてしまっているし、専業主婦だし、今からどうしたら?という思いもあります。
小さな趣味はありますが何かの役に立つものでもなく…と書いている途中で、今突然定年退職した人の悩みに似てるかも!などと気づいてしまいました😅
燃え尽き症候群でしょうか?😥
悠水さまの周りには今までも私のような悩みの方もいらっしゃったと思いますが、どのようなお言葉をかけていらっしゃいますか?
何かアドバイスいただけないでしょうか?
よろしくお願いします。
こんにちは、お久しぶりです。私はおかげさまで、つつがなく生活させていただいています。autumn様はいかがお過ごしでしょう。
「以前より楽に過ごせるようになった気がします。 」とのこと、何よりですね。このようなお便りをいただけるのは喜ばしいことです。
さて、今回は「何が楽しみなんだろう?何のために生きているんだろう?」とのご質問です。これまでは、もしかすると、過去の整理について思い悩むことが多かったのが、現在あるいは未来に向かっての指針、拠り所の問題へと変遷したご様子が伺えます。
私は人に向かって何かを言えるほどの人間ではありませんが、よろしければ参考にしてください。
結論から言いますと、1つは何かを得ていく方向性、もう一つはすでにあるものをかみしめる方向性の2つ大切かと思います。
趣味がある事は、大変結構なことです。何かに打ち込んで上達をしたとか、認められたとかがあるでしょう。人間は縁の生き物ですから縁によって嬉しくなったり、力を貰ったりするものです。幸せとは、結局のところ1人だけでは得られないと思います。自分以外の誰かと喜んでこその幸せであり、人生ではないでしょうか。
もう一つは命ある今を喜ぶということです。人間は常に命終わる何歩手前を歩いているか分かりません。人生を半分ほど終えたとおっしゃっていますが、これは私自身にも言えることですが、一概に測れるものでもないでしょう。なにはなくとも、すでにあることを喜ぶ。穏やかに過ごせれば何よりと言う見方も大切かと思います。
的を得ているか心もとない事ですが、大まかに言ってこの2つのことが大切ではないかと思います。よろしければ、心の片隅にでも置いていただけたらと思いました。では失礼いたします。