先祖供養について
こんにちは。
今日は先祖供養のことについて教えていただきたいことがあります。
両親共に九州出身で、両親と両祖父母との関係があまりよくなかったことと、私も練習があり泊まりの旅行に行けなかったことなどで、子供時代にも10回ほどしか田舎には行ったことがありませんでした。15年ほど前に父方の祖父母が亡くなりましたが、お墓に行ったことがありません。
私の強い希望で、母方の祖父母のお墓には10年前に行きました。
母が父と結婚するときに、大きく反対されたこと、その反対の仕方が尋常じゃなかったことなどは聞いたことがありますが、母は祖父母を許せないのだと思います…お墓に行きたいと当時何度も話しましたが、叶うことがありませんでした。車がないといけない場所なので、叔母に連れて行ってもらうしかないなどで、いつもはぐらかされています。
ですが、私は父方のおばあちゃんのことがとても気になるんです。祖父母を思い返すとき、父方のおばあちゃんが思い浮かびます。
コロナのこともあり、しばらくは田舎には行けないと思います。今ここで、先祖供養をする方法はありますか。
仏壇もありませんし、写真もありません。
写真を探して欲しいと母に頼んでも、嫌味ばかりが返ってくると思います。
先日知人と話していたときに、右手ばかりの怪我や、右側の身体の不調があると話したところ「先祖供養してる?」と聞かれ、ハッとしました。スピリチュアルなことを信じるわけではないのですが、なんとなく気になります。
ご質問ありがとうございます。
私の拝見したところ、3つのポイントを整理する必要があると思いました。
1・これは推測に近いのですが、「祖父母を思い返すとき、父方のおばあちゃんが思い浮かびます」というところから、純粋に孫として「祖父母」を思慕する情
2・「身体の不調」を「スピリチュアルなことを信じるわけではない」ではないが、「スピリチュアル」的な観点が「気にな」っている(否定しきれない)
3・「供養」は、純仏教的な言葉です。「スピリチュアル」的な「供養」ということは、言葉の意味として本来成立しません(文面から「先祖供養」をそのように捉えているように伺えます)。加えて、浄土真宗からは「供養」ということの根本的な難しさを前提としています。(私のyoutube解説がありますので、ご興味があれば「報恩寺チャンネル」を御覧ください)
1について、純粋に「祖父母」を慕わしく思い出すのであれば、その気持ち自体素晴らしいことです。お墓の位置がわからないということであるとしても、成人した孫の追悼する心持ちを阻む権利はたとえご両親であってもないと私個人としては考えます。どうしても一度墓参したい旨を告げ、ご自身で足を運ばれるという手もあると思います。
2と3についてですが、「スピリチュアルなことを信じるわけではない」のだとしたら、あなたはどんな心の基準を持ってこの問題に向き合おうとされているか、立場を明確にするべきでしょう。仏教だとしたらどの宗派の教えか、あるいは無宗教か、それとも別のなにかか、です。特定の宗旨でしたら、まずその教えを聞いていく、実践していくべきです。無宗教であるならば、「スピリチュアル」的方法も、純仏教的な「供養」という実践もあなたの方法論として該当しなくなります。
一度、ご自身で問題点を整理され、ご自身の宗教的な方向性をお考えになられると、今後の心の整理につながるかと思いました。どうぞお体お大事にされ、少し時間をおいてお考えいただけると幸いです。